子宮全摘までの経緯

序章

初潮は小学6年生か中学1年生頃だったと記憶している。

子供の頃から冷え性で、生理は重く、貧血で日々つらかった。

30代になると生理の経血にレバー状のものがゴロゴロと出るようになり、

内診台に対する恐怖があり婦人科は避けていたが、

明らかな異常を感じたため意を決して婦人科を受診。

診察結果は子宮筋腫。

重い生理に対してピルでの治療を開始し、

定期的に筋腫の大きさを経過観察することとなった。

手術適応

40代になった頃、毎晩のように全身ひどい寝汗に悩まされた。

一晩に3回もパジャマを着替えないといけなくなった。

少し早いが更年期障害かなと思っていたが、それまで問題がなかった左卵巣にのう腫が見つかった。

また生理時以外での下腹部痛も頻発するようになり、筋腫も4.5cmと大きくなっていたことと、

貧血があること、今後妊娠を希望しないことから、

腹腔鏡による子宮全摘+左卵巣摘出をすることになった。

入院も手術も全身麻酔も、すべてが恐怖であった。

入院から手術前まで

入院前には下腹部が妊婦のようにパンパンに張っていた。

このお腹の張りは、術後1ヶ月くらいまで続くことになる。

コロナ禍での入院および手術であったため、個室に入院することにした。

手術前日に入院、すぐに点滴のルートを入れられ、剃毛もしてもらった。

ツルツルを想像していたが、そこまでではなかった。

18時30分に夕食を食べて以降、0時からは絶飲食。

水分補給は点滴でしていたが、絶食がつらかった。

手術当日、午後からの手術にそなえ、術衣に着替え、T字帯にはきかえ、

着圧ソックスもはいたが、手術開始時間が大幅に遅れ、

午前中からずっと緊張しっぱなしであった。

手術

病棟ナースと主治医と執刀医と共に手術室へ徒歩で向かう。

手術室はドラマで見るような雰囲気以上に無機質な感じがした。

名前や生年月日、手術部位の確認を行ったら、手術台に横になる。

いよいよかと胸のドキドキがさらに速くなる。

「緊張してますか?、大丈夫ですよ」などと主治医が声をかけてくれた。

酸素マスクはゴムの匂いがして、送られてくる酸素の向こう側に麻酔の匂いがした。

色をつけるなら紫色のような、ピンクのような、そんなかんじがした。

静脈からも麻酔薬が入れられ、血管を押し広げるような感覚と冷たい感覚ののち、

すぐに眠りについた。次に起こされた時には手術は終わっていた。

前日ほとんど眠れなかったため、麻酔を含めて5時間の手術が実質睡眠時間となったかんじであった。

術後から退院まで

手術の傷は、おへそのところが4cm、下腹部辺りに1cmの傷が3ヶ所、頑張った勲章ができた。

この時から術後2日目くらいまで、傷の痛みと腹部の強い筋肉痛のような激痛に耐えることになる。

夜中に様子を見にきた看護師が私の腹部に血圧計を落とし、

ただでさえ手術で痛む腹部に物を落とされ、激痛で体がくの字に折れ曲がるほどであり、

その看護師に一瞬で殺意を抱きそうになるくらいであった。

手術中、台に固定されていたせいか、もしくは麻酔が切れ始めたせいか、

全身のしびれと頭が勝手に動くという謎の症状(不随意運動)が起きたが、

翌朝上体を起こしてもらった途端、その症状は消失した。

数m先の診察室まで、自力で歩いていけないと身体につながっている管を抜くことができないため、

貧血でフラフラになりながらも一歩ずつ何とか歩いていくことができた。

術後はなるべく歩くようにと言われていたが貧血でだるく、

病棟をぐるっと一周し階下のコンビニに行くくらいであとはずっとベッドに横になっていた。

そんな状態であったが、入院は当初の予定通り1週間で退院となった。

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